寂しがり

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本棚の話

こんなことを言えば、当然、なんと気の早いヤツだと言われるに決まっているのだが、

私にとって本棚とは、自分の本棚、というだけでなくて、「我が子にとって"母親の"本棚」というイメージが、常にある。

私には子供がいないどころか結婚もしていないので、馬鹿げた話なのだけど。

 

 

私は自室に三つ本棚を持っていて、

ひとつは文学書、ひとつは文庫本、もうひとつは漫画とおおよその役割分担をさせている。

将来は多分、もっと大きな本棚を買い、今とあまり変わらない分類で、蔵書を管理していると思う。

 

本棚に本をしまう時、小さな子供が隣にいる。

「これはお母さんのお気に入りの詩集」

それが私の口にする、したい言葉で、

馬鹿げてる。本当に。

でも、それは私の夢みたいなものだ。

 

私の好きな本を、いつか子供に読んで欲しい。

全部でなくてもいい。好きにならなくてもいい。

ただ、「母親の本棚」というものがある家庭にしたい。

私の両親は、本をあまり持たない人たちで、と言っても読まないわけではなく、購入して読了するとすぐに手放してしまうという人たちだった。

子供の頃、少し背伸びした本、というものに触れる機会は、そういう理由でなかった気がする。

読書好きの子供だった私が読んでいたのは、図書館の児童書コーナーにある本が中心で、それも自分のものではないから、一度読み終わったらそれっきりということが多かった。

ちょっと背伸びをした本、例えば名作と呼ばれる文学だとか、大正時代の詩集だとか、海外の戯曲だとか、私はそういうものに、興味を持たなかったし、読む機会もなかった。

学校が提示する「推薦図書」というものは、反抗心から、読みもせず嫌いだった。

 

大人になった今更に、少し憧れることがあるのだ。

そういう本が、もしも、私の家の本棚にあったなら。

あと少しくらい早く、背伸びをした活字に、出会えていただろうか。

 

もちろん、仮にそうであったとして、私が文学を好きになったとは限らない。

本棚にあることを知っていても、読むこともなく好みじゃないと思っていたかもしれない。

でも、私の子供が将来いるとするなら、その子には可能性を作っておきたい。

「母親の本棚」にあった一冊が、偶然、心に響くことだって、あるかもしれない。

それで世界が広がってくれたら、それは素敵なことだ。

そんなことを考えると、本棚に本を入れるのが、いっそう楽しくなる。

 

小説だけでなく、詩集、随筆、漫画、写真集、いろんな本があったら良いだろうか。

日本人作家だけじゃなく、海外の作家ものもあったら素敵だろうか。

お固い本ばかりだと困るだろうから、挿絵の綺麗な本も、あれこれとっておこう。

そんな風に考えるようになって、私の本棚は、私にとっても豊かになった。

 

本棚を育てる。いつかの君のために。